麻生邸リアリティツアー事件国家賠償請求訴訟総括集会のお知らせ

麻生邸リアリティツアー事件国家賠償請求訴訟総括集会

日時〇2016年11月5日 13時半開場(14時開始)
場所〇渋谷勤労福祉会館
資料代〇500円

発話者:廣瀬純さん―『暴力階級とは何か——情勢下の政治哲学2011-2015』(航思社)著者/麻生邸リアリティツアー国家賠償請求訴訟団事務局 など

麻生邸リアリティーツアー事件から8年、国賠提起から6年が過ぎた――そもそも、あの事件を知っている、あるいは覚えている人はどれだけいるのだろうか?

麻生邸リアリティツアーとは、2008年当時の首相、麻生太郎の62億円もの私邸を見に行こうという企画であった(なぜ見に行こうとしたのかといえば、国内でも有数の高級住宅地にあるその豪邸は、麻生一族が朝鮮人と被差別部落の人々の命を収奪してなした財のごく一部だからだ)。
そして事件とは、麻生邸に向かっていた人々に、公安警察が体当たりするなどして襲いかかり、3名が逮捕され12日間勾留され、さらには労働組合の事務所が家宅捜索された一連の弾圧である。
マスコミのフレームアップ報道に始まり、弾圧の一部始終をとらえた動画で暴露された露骨なデッチアゲ、そして国会等で「政治問題」化されるなど、一貫してスペクタクルな出来事として記憶されているのかもしれない。

弾圧の下手人の一人、宇井渋谷署警備課長(当時)が証人尋問でいみじくも語ったとおり、私たちは確かに「政権に批判的な集団だった」。もっといえば、政権にとどまらず、議会政治をはじめとする制度的で茶番にまみれた政治に対する否認があったといえば言い過ぎだろうか。
貧民が貧民窟から出てこようとすればそれを叩き潰そうとするのが支配階級なのだ、といえばそれまでかもしれないが、首相の家に歩いて行く程度のことで犯罪とされてしまうことに強い危惧を覚える。
表現の自由、という響きがブルジョア法の限界を想起させるかもしれないが、私たちはあえて相手の土俵で闘うことを決めた。
希代の悪法、公安条例をあらためて問い、そして廃絶することの意義について再三訴えてきたが、その問題意識が広く共有されるようになったかと言えば、残念ながらそうとは言えない。そして裁判闘争においては、裁判所は、被告である警察の主張――潜在的暴徒、予備的にいっても形式犯であるという主張を鵜呑みにするにとどまらず、*「明白かつ現在の危険」という法理を検討する必要はなく違憲審査はしないと開き直ったのだ。
完全な敗北か?私たちは所謂「力関係」における戦略戦術の布置を読み違えていたのか?
例えば、「新しい社会運動」を標榜する人々は、確かに現象としては空間を占拠したかのように見える。
しかし、起きていることの本質は、ファシズムとスターリン主義人民戦線の弁証法で、地獄の右滑りが繰り返されているだけである。

私たちは、先日不当にも棄却された最高裁判決を受け、この8年にわたる経験を総括し、教訓として皆さんと分かち合いたい。
ひとつの事件で時代の分水嶺をひくことはできないが、事件以前と以後の社会をしっかりと見渡したいと思う。


*明白かつ現在の危険…表現の自由の内容規制に関する違憲審査基準の一つ。アメリカの憲法判例で用いられ理論化された。違憲審査基準としては厳格であり、対象となる人権の制約を認める範囲は著しく限定的。(1)近い将来、実質的害悪を引き起こす蓋然性が明白であること(2)
実質的害悪が重大であること(3)当該規制手段が害悪を避けるのに必要不可欠であること、以上の三要件を満たすときはじめて当該表現行為を規制できるとする。